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代表笹森 5月コラム

 私が中学1年生のときのこと。所属していたジュニアオーケストラで、初めての海外演奏旅行に出かけました。この年は、オランダの大聖堂が舞台でした。


 そのオケは、下は中学1年生から、上は大学4年生までで構成されていました。もともと違う支部のオケに参加していたのですが、海外演奏旅行があるということで、隣の支部のオケにまたいで参加することになりました。


 20年以上前に遡りますが、練習初日のことは鮮明に覚えています。海外演奏旅行の参加対象は中学1年生以上だったのですが、私が中学生になる渡航時の1年前から練習が開始したため、入団時点では小学6年生。リハーサル室の扉を開けると、高校生や大学生のお兄さんお姉さんばかり。とても緊張して中に入っていくと、

「君は誰?何年生?」

と指揮者に言われます。

名前と学年を伝えると

「小学生は来られないよ」

と言われ、固まったことを覚えています。


 今となっては大変失礼なのですが、この指揮者の先生はとても怖いことで有名でした。肌感覚として、その厳しさは音楽への情熱だと理解できたのですが、練習時の緊張感は確かに凄まじかったものです。一度意見を求められた際に返答したところ、

「君、声小さいね」

と言われたのですが、緊張で声が出なかったとは言えませんでした。私含め一部の団員はA先生に睨まれると固まるしかないので「蛇眼先生」と呼んでいたほどです(笑)。


 誤解のないようにお伝えしますと、私はこの指揮者が好きだったからこそ、長くオケを続けられました。例えばモーツァルトの作品を演奏すると、毎回必ず顔を真っ赤にして怒ります。

「違うんだよ!もっとこういう音でしょ?」

とこだわりの音を提示し、理解を求めてきます。モーツァルト特有の、幸福感に包まれた音の希求です。その探求心の強さやこだわり、奏者である子どもたち以上に情熱を持ってオケを引っ張っていく姿に大きく影響を受けたのは間違いありません。


 そのオケでは一番年下だったわけですが、入団した後はとても可愛がってもらいました。それは高校生や大学生からです。終わった後にご飯に行くのは当たり前。さらに、今思い返してもすごいのですが、2か月に1回ぐらいの頻度で、団員でディズニーランドに行っていました。アトラクションに乗ることより、その待ち時間にお兄さんお姉さんと話せる時間が好きでした。


 ある日、ある大学生の内定が決まり、そのお祝いだからといって、祝われるのは彼女の方なのに、中学生のチケット代を払ってくれたことがありました。また、当時携帯を持っていなかったので、何時に集まるかなどの詳細はFAXで送ってもらっていました。詳細を書いて送ってくれるのは高校生のお姉さんなのですが、中学生男子からしたら何とも幸せなことでした。そのFAXの紙を大事に机の中にしまっていたのを覚えています。


 その後も2回ほど演奏旅行に行ったのですが、最後に参加したときは社会人1年目で、指導者側になっていました。そのときは、自分がお兄さんお姉さんにしてもらったのと同じように、年下の大学生や高校生を集めて、土日に自習練をしたり遊びに連れ出したりしたものです。