代表笹森 12月コラム
先日、あるオーケストラのクラスで指導していた、成人した3人のチェロの子たちと久々に会う機会がありました。私が留学先より帰国した当時、私自身が幼少期より学んだスズキ・メソードのジュニアオーケストラの指導を手伝っていたのですが、そのときのメンバーです。彼女たちは当時小学4,5年生でした。昔の同門(同じ先生のクラス)の後輩たちでもあり、パート練習や海外演奏旅行に向けた合宿などでも指導していました。そんな彼女たちと一緒に行った最後の演奏旅行以来、10年ぶりの再会でした。
当時私は花まる学習会に入社したて。平日は、朝から昼間では座学の研修でマニュアルを覚え、午後から夜にかけては教室の現場での研修を受けていました。そして、土日はそのオケのお手伝い。オーストリアはウィーンへの演奏旅行を控え、みんなで熱心に取り組んでいました。”土日”と言っても正式な練習日は日曜日で、土曜日は大学生を集めての自主練でした。当時を振り返ると、私自身も若かったからか、体力があったものだなと懐かしくなります。
演奏旅行の思い出話に花が咲いていたところ、一人の子が突然別の話題を切り出してきました。
「そういえば、壮大くんたちにもらった手紙がすごく嬉しくて、オケのモチベーションがめっちゃ上がってたんですよ!」
当時22歳だった私は、大学1年生の丸澤(当教室のヴァイオリン講師で立ち上げメンバー)と、どうしたら高校生や中学生、そして小学生たちが、オケに対してやる気を持つことができるのか議論していました。せっかくウィーンに行くんだから、最高のオケにしようと。結論として、オケで座った隣の子に毎回手紙を書こうということになりました。手紙の内容は、その日指揮者が言っていたこと。新しく出てきた音楽記号の解説。次の練習までに何小節目の何を練習してくればよいのか。そして、個人的なメッセージです。
後輩たちのモチベーションを上げるためのそんな取り組みは、10:00から17:00までの練習が終わった後に行っていました。彼らの先輩である大学生たちを連れてファミレスに行って、2時間も3時間もひたすら一人ひとりに手紙を書いていました。1週間休みが無い中で、ヘトヘトになりながら手紙を書くのでした(当時の自分を褒めてあげたいです(笑))。
だからこそ、前述の「めっちゃモチベーションが上がったんですよ!」という言葉が聞けたことは、10年越しの嬉しいサプライズでした。やってよかったという報われた気持ちに加え、行動として実践していた自分たちが誇らしくなりました。そして、何より想いが届いていたことがたまらなく嬉しかったのです。
そんな彼女たちと再会したきっかけは、私たちの恩師の古希のお祝い会です。70歳の古希のお祝い、そして指導歴40周年という、ダブルでの祝賀会でした。その恩師には、私が4歳の頃から桐朋の音楽高校に入学するまで習っていました。
スズキ・メソードで育った私にとって、とにかく音楽の楽しい思い出は、全てそこに詰まっています。特に、小学3年生ぐらいでジュニアオケに入ってからは、夏の3泊4日の合宿が1年で一番楽しみなイベントでした。行きのバスでトランプをしたり、隙間時間がちょっとでもあれば、全力疾走で卓球台まで行って勝負をしたり。
初めて徹夜をしたのもこの音楽合宿でした。睡魔に襲われながらモーツァルト作品の第2楽章(”緩徐楽章”という、とてもゆったりした部分です)を耐える、というのが毎年の合宿の恒例でした。
5,6年生のお兄さんたちと夜中に部屋で野球をして騒ぎ立て、引率のお母さんたちに見つかってこっぴどく叱られたことは、今でこそ笑える思い出です。また、大学生の部屋にこっそり行って、朝までトランプやゲームをしたことも。オケの年齢のサイクルの関係で常に年下だった私は、ちょっと上のお兄さんお姉さんに弟のように可愛がってもらいました。
中学1年生になったときには、初めてオランダへの演奏旅行に連れて行ってもらいました。中学生から大学生までのオケで、オランダの大聖堂で、現地の聖歌隊とともにミサ曲や教会音楽を演奏しました。”Kyrie”(キリエ)や”Gloria”(グロ