先日、あるオーケストラのクラスで指導していた、成人した3人のチェロの子たちと久々に会う機会がありました。私が留学先より帰国した当時、私自身が幼少期より学んだスズキ・メソードのジュニアオーケストラの指導を手伝っていたのですが、そのときのメンバーです。彼女たちは当時小学4,5年生でした。昔の同門(同じ先生のクラス)の後輩たちでもあり、パート練習や海外演奏旅行に向けた合宿などでも指導していました。そんな彼女たちと一緒に行った最後の演奏旅行以来、10年ぶりの再会でした。
当時私は花まる学習会に入社したて。平日は、朝から昼間では座学の研修でマニュアルを覚え、午後から夜にかけては教室の現場での研修を受けていました。そして、土日はそのオケのお手伝い。オーストリアはウィーンへの演奏旅行を控え、みんなで熱心に取り組んでいました。”土日”と言っても正式な練習日は日曜日で、土曜日は大学生を集めての自主練でした。当時を振り返ると、私自身も若かったからか、体力があったものだなと懐かしくなります。
演奏旅行の思い出話に花が咲いていたところ、一人の子が突然別の話題を切り出してきました。
「そういえば、壮大くんたちにもらった手紙がすごく嬉しくて、オケのモチベーションがめっちゃ上がってたんですよ!」
当時22歳だった私は、大学1年生の丸澤(当教室のヴァイオリン講師で立ち上げメンバー)と、どうしたら高校生や中学生、そして小学生たちが、オケに対してやる気を持つことができるのか議論していました。せっかくウィーンに行くんだから、最高のオケにしようと。結論として、オケで座った隣の子に毎回手紙を書こうということになりました。手紙の内容は、その日指揮者が言っていたこと。新しく出てきた音楽記号の解説。次の練習までに何小節目の何を練習してくればよいのか。そして、個人的なメッセージです。
後輩たちのモチベーションを上げるためのそんな取り組みは、10:00から17:00までの練習が終わった後に行っていました。彼らの先輩である大学生たちを連れてファミレスに行って、2時間も3時間もひたすら一人ひとりに手紙を書いていました。1週間休みが無い中で、ヘトヘトになりながら手紙を書くのでした(当時の自分を褒めてあげたいです(笑))。
だからこそ、前述の「めっちゃモチベーションが上がったんですよ!」という言葉が聞けたことは、10年越しの嬉しいサプライズでした。やってよかったという報われた気持ちに加え、行動として実践していた自分たちが誇らしくなりました。そして、何より想いが届いていたことがたまらなく嬉しかったのです。
そんな彼女たちと再会したきっかけは、私たちの恩師の古希のお祝い会です。70歳の古希のお祝い、そして指導歴40周年という、ダブルでの祝賀会でした。その恩師には、私が4歳の頃から桐朋の音楽高校に入学するまで習っていました。
スズキ・メソードで育った私にとって、とにかく音楽の楽しい思い出は、全てそこに詰まっています。特に、小学3年生ぐらいでジュニアオケに入ってからは、夏の3泊4日の合宿が1年で一番楽しみなイベントでした。行きのバスでトランプをしたり、隙間時間がちょっとでもあれば、全力疾走で卓球台まで行って勝負をしたり。
初めて徹夜をしたのもこの音楽合宿でした。睡魔に襲われながらモーツァルト作品の第2楽章(”緩徐楽章”という、とてもゆったりした部分です)を耐える、というのが毎年の合宿の恒例でした。
5,6年生のお兄さんたちと夜中に部屋で野球をして騒ぎ立て、引率のお母さんたちに見つかってこっぴどく叱られたことは、今でこそ笑える思い出です。また、大学生の部屋にこっそり行って、朝までトランプやゲームをしたことも。オケの年齢のサイクルの関係で常に年下だった私は、ちょっと上のお兄さんお姉さんに弟のように可愛がってもらいました。
中学1年生になったときには、初めてオランダへの演奏旅行に連れて行ってもらいました。中学生から大学生までのオケで、オランダの大聖堂で、現地の聖歌隊とともにミサ曲や教会音楽を演奏しました。”Kyrie”(キリエ)や”Gloria”(グローリア)といった言葉が出てくる、荘厳で本格的な教会音楽を、ミサに来る大勢の参列者を前に、司祭による祈りのことばとともに演奏しました。見上げる必要があるほど高い天井と、吸い込まれそうに思えるほどの残響のもと、音楽が持つ美しさや感動に包まれました。音楽を何年も続けていながら、ここまで本格的な経験は初めてでした。
その後も、高校3年生でドイツ、留学先のフランスから帰ってきた22歳のときには、今度は指導者側として、他の先生方と一緒にオーストリアはウィーンへの演奏旅行に連れて行っていただきました。そして最後の2回は、当時中学生だった丸澤もいたのです。そんな海外での原体験は、現在のアノネ音楽教室の教材やイベントにもつながっています。
さて、恩師の古希のお祝いは、小学生の頃の音楽仲間との同窓会にもなりました。そして、生徒たちは一人ずつ心行くまで先生にメッセージを伝えました。それは、言葉では言い表せないほど温かい時間でした。
私の妹もチェロを習っていたのですが、こうコメントしていました。
「怒らず、穏やかで、人を権威で捻じ曲げようとか、矯正しようとか、自分の優位を示そうとか、そういう気持ちが一切感じられない。その人自身を育てようとしてくれる温かな先生です。チェロの技術だけでなく、人間としても育ててくれました」
私自身も、妹のコメント通りの先生だと感じています。実は先生は20代までチェロを弾いたことがなく、ポール・トルトゥリエというフランスを代表するチェリストの演奏を聴いてチェロを始めたという経緯があります。そこから10時間以上練習をして、チェロの先生になったのです。恩師は、チェリストの遠藤真理さんをはじめとする、さまざまなキャリアの人材を輩出しています。英才教育を受けたわけではない恩師の門下から、音楽専門校はもちろん、世界中に向けてたくさんの優秀な演奏家が飛び立ったのです。
さて、ここ数年、アノネ音楽教室の説明会では、あるエビデンスに関する話をお伝えしています。毎月のコラムでも何度か書いていますが、大成した音楽家やスポーツ選手が初めについた先生がどんな人だったかという話です。それは、彼らの指導者が「才能を見抜いた」とか、「やたら厳しかった」とかではなく、「優しく、寛容で、興味関心を広げてくれた」という話です。
私がレッスンを受けていたのは毎週木曜日でしたが、一度も休んだことがありませんでした。また、1週間で一番楽しみだったのが、土曜日のジュニアオケのチェロのパート練習。そして、1年で一番楽しみだったのは、年1回の音楽合宿です。海外演奏旅行では、一生を彩るほどの音楽の美しさを教えていただきました。
振り返れば、恩師には厳しく指導されたことはたった一度もなく、音楽への興味関心を最大限広げていただいたのです。そのような素晴らしい指導者と出会えたことに、改めて感謝の気持ちがこみ上げてきました。
恩師の”頂きの境地”はとても手が届かないほど高かったものです。一方で、長く続けていてわかったことがあります。音楽を通してずっと続く、大きな家族のような関係があるということです。今回のお祝い会では、そんな幸せな世界があることを改めて確信しました。
話は戻りますが、冒頭の彼女たちに
「当時の俺はどんな人だった?」
と聞いてみたところ、
「アメを買ってくれた優しいお兄さん!」
「壮大くんは今と違ってマッチ棒みたいに細いお兄さんでした!」とのこと。彼女たちからしてみれば、私は先生でもない、同門内の兄弟のような相手です。絶えず腹を抱えて笑ってしまう楽しい食事会でした。
本年も大変お世話になりました。
また新年な皆様にお目にかかれることを楽しみにしております。
どうぞ良いお年をお迎えください。
アノネ音楽教室 笹森壮大
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