両親を東京に呼んで同居し始めてから、ちょうど1年が経ちました。父は17年前に小説を書くと言って仕事を辞め、それ以来食えないまま、生き方だけは文豪のように刹那的です。酒に溺れ、毎朝7時からは趣味の料理に興じてキッチンを汚し放題。食べた皿も大量に放置して素知らぬ顔。私の朝は、その食器を洗うところからスタートします。ある朝も洗い物をしていたところ、ふとあることを思い出しました。それは私が高校生の時に、人生でたった一度だけ父と喧嘩をしたことです。
父が仕事を辞めてしばらく経つと経済的に苦しくなり、父の代わりに母が働き始めました。私は実家を出て高校の近くに住んでいたのですが、時折実家に帰ると一家4人分の食器や洗濯物が山のように溜まっていました。父はそれらに目もくれず自分の好きなこと(酒、タバコ、執筆、ゴルフ、プロレス観賞)に明け暮れていて、次第に家族全員のフラストレーションが溜まっていきました。ある日、酔っぱらった父は「妹(当時4歳)を風呂に入れろって言ってるだろ!」と怒鳴りながら、私に掴みかかってきました。ヘルパーの仕事の夜勤が増え疲弊していく母の様子をはじめ、劇的な家庭環境の変化を目の当たりにしていた私は、そこで怒りが爆発しました。そして、「少しは家事を手伝えよ!」「働かないから家族が苦しんでいるんだろ!」と言い返してしまい、殴り合いの喧嘩に発展。思春期の男子に一度あるかないかの父親との昔話ですが、散らかったシンクで食器を洗いながら、今さら自分のことをやってほしいという期待も湧かず、過去の記憶が蘇ってきたのです。
話は変わりますが、私には相手にこうしてほしい、こうなってほしい、という「期待」によってつまずいた経験があります。アノネ音楽教室(花まるメソッド音の森)を開校する前、個人でチェロのレッスンを行っていた時の話です。小学校1年生で別の音楽教室から移動してきた男の子を教えていたのですが、それまでは全く練習しなくても何も言われなかったそうでした。そこで私は「練習は毎日しないと絶対にいけない!」と意気込み、今の理念とは真逆の結果になるような、熱意だけで教えていた時です。
A君を指導する中で感じたのは、彼のポテンシャルの高さです。レッスンでちょっと教えるとみるみる成長していきました。しかし、自宅での練習習慣が一朝一夕に身につくはずもなく、捗るのは教室でのレッスンだけ。私は講師として練習の大切さを説き、お母さまとも話し合って、どうやって練習習慣を作っていくか、アプローチを続けました。時には動画を送ってもらったり、電話をしたり。当時は子どもの意欲を伸ばすということに重きを置けておらず、プレッシャーを与えていたように思います。全く練習をしてこないまま4年生になったある日、お母さまから退会の打診を受けました。理由を聞いてみると、「Aはもう十分続けたので」ということでした。Aくん自身も「もう十分やった」と言っていました。私は驚きました。全力でぶつかっていた上に、これからが楽しくなるんだからどんどん進めていこうと意気込んでいた矢先だったからです。そして何より、「十分やった」と言う言葉にも納得できていませんでした。しかし、この時は自分がずれていたことにまだ気がつけていなかったのです。
自分の力不足を棚に上げ、「十分やった」という言葉を受け止めきれなかった私は、お母さまに詳しく伺うことにしました。するとお母さまは「ここまで続けただけでAは立派だと思っています」とおっしゃいました。その言葉を聞いて、私はようやく自分が本当の意味でA君を理解していなかったことに気がつきました。
お母さまと話した後は、自宅の部屋の電気をつける気力も湧かず、過去のA君とのやりとりや関係を頭の中で振り返っていました。「練習をして伸びる理想のA君」のイメージに固執し、「練習ができないありのままのA君」を認めることができていなかったのではないかという結論に行き着いたことを、今でも覚えています。
指導者として子どもの伸びしろを見抜き、伸ばすこと、期待すること、信じること。それらは全て大切なことだと思います。期待は往々にして子どもたちの成長を大きく後押しするからです。ただ、「この子は伸びていく」と期待することは、「今現在は理想とするゴールの状態ではない」と、ありのままのその子を否定してしまう可能性をも孕んでいます。そして、まさに私はその状態に陥っていたのです。もちろん、無条件に全てを受け入れればいいかといえば、そんなことはないと思っています。ただ、できないことがあっても、それは何も「欠けている」というわけではありません。陸に上がらず泳ぎ回るおたまじゃくしは「立派なおたまじゃくし」であって、「未熟なカエル」ではないということです。十全に泳ぎ回るおたまじゃくしであることを、喜びを持って祝福できるようになったことが、駆け出しの私にとっての大きな気付きでした。
さて、冒頭の話には続きがあります。呆れるほど好きに生きている父に愛想をつかしてるかといえばそうではありません。食器を洗いながら最後に思ったのは、「ここまで育ててもらったことを思えば、全然恩返しは足りないよな。むしろもう少し我がままを言ってもらっても構わないんだけどな」ということでした。身体が不自由になった父に対しての同情なのか、単に少しでも幸せに余生を過ごしてほしいからなのか。父は子どものように成長はしていきませんが、穏やかにサポートしていきたいと思います。
アノネ音楽教室代表 笹森壮大
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