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更新日:2021年6月28日

  両親を東京に呼んで同居し始めてから、ちょうど1年が経ちました。父は17年前に小説を書くと言って仕事を辞め、それ以来食えないまま、生き方だけは文豪のように刹那的です。酒に溺れ、毎朝7時からは趣味の料理に興じてキッチンを汚し放題。食べた皿も大量に放置して素知らぬ顔。私の朝は、その食器を洗うところからスタートします。ある朝も洗い物をしていたところ、ふとあることを思い出しました。それは私が高校生の時に、人生でたった一度だけ父と喧嘩をしたことです。


 父が仕事を辞めてしばらく経つと経済的に苦しくなり、父の代わりに母が働き始めました。私は実家を出て高校の近くに住んでいたのですが、時折実家に帰ると一家4人分の食器や洗濯物が山のように溜まっていました。父はそれらに目もくれず自分の好きなこと(酒、タバコ、執筆、ゴルフ、プロレス観賞)に明け暮れていて、次第に家族全員のフラストレーションが溜まっていきました。ある日、酔っぱらった父は「妹(当時4歳)を風呂に入れろって言ってるだろ!」と怒鳴りながら、私に掴みかかってきました。ヘルパーの仕事の夜勤が増え疲弊していく母の様子をはじめ、劇的な家庭環境の変化を目の当たりにしていた私は、そこで怒りが爆発しました。そして、「少しは家事を手伝えよ!」「働かないから家族が苦しんでいるんだろ!」と言い返してしまい、殴り合いの喧嘩に発展。思春期の男子に一度あるかないかの父親との昔話ですが、散らかったシンクで食器を洗いながら、今さら自分のことをやってほしいという期待も湧かず、過去の記憶が蘇ってきたのです。


 話は変わりますが、私には相手にこうしてほしい、こうなってほしい、という「期待」によってつまずいた経験があります。アノネ音楽教室(花まるメソッド音の森)を開校する前、個人でチェロのレッスンを行っていた時の話です。小学校1年生で別の音楽教室から移動してきた男の子を教えていたのですが、それまでは全く練習しなくても何も言われなかったそうでした。そこで私は「練習は毎日しないと絶対にいけない!」と意気込み、今の理念とは真逆の結果になるような、熱意だけで教えていた時です。


 A君を指導する中で感じたのは、彼のポテンシャルの高さです。レッスンでちょっと教えるとみるみる成長していきました。しかし、自宅での練習習慣が一朝一夕に身につくはずもなく、捗るのは教室でのレッスンだけ。私は講師として練習の大切さを説き、お母さまとも話し合って、どうやって練習習慣を作っていくか、アプローチを続けました。時には動画を送ってもらったり、電話をしたり。当時は子どもの意欲を伸ばすということに重きを置けておらず、プレッシャーを与えていたように思います。全く練習をしてこないまま4年生になったある日、お母さまから退会の打診を受けました。理由を聞いてみると、「Aはもう十分続けたので」ということでした。Aくん自身も「もう十分やった」と言っていました。私は驚きました。全力でぶつかっていた上に、これからが楽しくなるんだからどんどん進めていこうと意気込んでいた矢先だったからです。そして何より、「十分やった」と言う言葉にも納得できていませんでした。しかし、この時は自分がずれていたことにまだ気がつけていなかったのです。


 自分の力不足を棚に上げ、「十分やった」という言葉を受け止めきれなかった私は、お母さまに詳しく伺うことにしました。するとお母さまは「ここまで続けただけでAは立派だと思っています」とおっしゃいました。その言葉を聞いて、私はようやく自分が本当の意味でA君を理解していなかったことに気がつきました。


 お母さまと話した後は、自宅の部屋の電気をつける気力も湧かず、過去のA君とのやりとりや関係を頭の中で振り返っていました。「練習をして伸びる理想のA君」のイメージに固執し、「練習ができないありのままのA君」を認めることができていなかったのではないかという結論に行き着いたことを、今でも覚えています。


 指導者として子どもの伸びしろを見抜き、伸ばすこと、期待すること、信じること。それらは全て大切なことだと思います。期待は往々にして子どもたちの成長を大きく後押しするからです。ただ、「この子は伸びていく」と期待することは、「今現在は理想とするゴールの状態ではない」と、ありのままのその子を否定してしまう可能性をも孕んでいます。そして、まさに私はその状態に陥っていたのです。もちろん、無条件に全てを受け入れればいいかといえば、そんなことはないと思っています。ただ、できないことがあっても、それは何も「欠けている」というわけではありません。陸に上がらず泳ぎ回るおたまじゃくしは「立派なおたまじゃくし」であって、「未熟なカエル」ではないということです。十全に泳ぎ回るおたまじゃくしであることを、喜びを持って祝福できるようになったことが、駆け出しの私にとっての大きな気付きでした。

 さて、冒頭の話には続きがあります。呆れるほど好きに生きている父に愛想をつかしてるかといえばそうではありません。食器を洗いながら最後に思ったのは、「ここまで育ててもらったことを思えば、全然恩返しは足りないよな。むしろもう少し我がままを言ってもらっても構わないんだけどな」ということでした。身体が不自由になった父に対しての同情なのか、単に少しでも幸せに余生を過ごしてほしいからなのか。父は子どものように成長はしていきませんが、穏やかにサポートしていきたいと思います。


アノネ音楽教室代表 笹森壮大 

更新日:2021年5月1日

 新年度が始まりひと月が経とうとしていますが、改めましてご進級、ご進学おめでとうございます。昨年のこの時期はといえば、私たちがそれまで経験したことのなかった新型コロナウイルスの感染拡大に対応する真っ只中。あの時期は、当時新たな試みであったオンライン授業・レッスンの準備をただただ必死に進めていましたが、今ではいつでも迅速に授業形態を切り替えられる体制が整いました。アノネ音楽教室が所属する花まるグループ代表の高濱のコラムでも言及しておりますが、教室内(講師や子ども)、社内(社員間)での感染ともに、おかげさまで今のところ起きておりません。保護者の皆さまのご理解とご協力があるからこそ感染症対策を徹底し続けることができていますが、まさにその賜物ほかなりません。いま一度心から感謝をお伝えしたいと思います。そして、教室長・講師やスタッフ一同、今も事務所に出社できる人数の制限やゾーニングなどのルールを徹底中です。今後万が一感染が起きてしまった場合も「拡大させない」ということを目指し、子どもたちや保護者の皆さまの安全を大切にし続けてまいります。


 さて、先日は東京芸術劇場で行われた『世界子ども音楽祭 2021 in 東京 ─ 仲間とともに奏で歌い、困難を乗り越える』というコンサートを鑑賞してまいりました。実は、このコンサートを主催した「エル・システマジャパン」(世界の70以上の国や地域で音楽教育プログラムを行う組織の日本法人)には、私たちの教材開発部門である(株)国際音楽教育研究所の教材を採用していただいていて、そのご縁でご招待を受けたのでした。このコンサートは、世界中の「エルシステマ」の子どもたちを中心として、生演奏にオンライン中継や映像の上映を交えて進められていました。どの演奏も強く印象に残るものばかりだったのですが、なかでも冒頭で出演していた団体「東京ホワイトハンドコーラス」の合唱には、私自身強く魅了されました。その団体は、視覚・聴覚障がいや自閉症、発声に困難を抱える子どもたちが集まっていて、障がいがある子どもたちが本格的な芸術に取り組める昨今稀有な団体だと紹介されていました。そのこと自体ももちろんすばらしいのですが、私は彼らの演奏が持つエネルギーそのものに心を打たれました。彼らの演目は、モーツァルトが作曲した祈りの言葉による合唱曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」です。まさに祈りのように穏やかで、透き通るようなハーモニーを持つこの曲に、内なる力強さを宿す彼らの歌声が映えていました。それは、聴いたことのないようなすばらしい演奏でした。その後も、子どもたちによるオーケストラの演奏などが続き、アノネ音楽教室のコンサートと重なるものがありました。


 私たちはというと、例年開催していた子どもたちの合唱をフルオーケストラの伴奏が彩る『クリスマスコンサート』や『スプリングコンサート』について、昨年の休止期間を経てどうにか今年こそ実現できないか、つい数週間前まで検討しておりました。しかし、首都圏の各ホールが取る感染症対策のルール上、舞台での出演者同士の距離を2メートル以上取らなければいけないことになっています。そうすると、舞台に上がることができる人数は、アノネ音楽教室に通う全生徒の3分の1にも及ばないことになり、従来のような形のコンサートはどうしても開催が難しいということが分かりました。だからといって、「仕方がない」と諦められるわけがありません。

 

 従来のようなコンサートの開催が難しいということがわかった後も、私たちには何ができるのか考え続けていました。子どもたちが、年に1度の発表の機会として、みんなで一丸となって一つの音楽を創り上げる喜びや、アンサンブルの醍醐味を、今年度も絶やさず経験できる方法はないか。全教室長・講師・スタッフがそんな思いで、さまざまなアイデアを出し合った結果、年間を通じて、安全でありつつ、わくわくした気持ちで取り組めるような新しい形の特別授業の枠組みが見えてきました。全員がそれぞれの場所から歌って、演奏して、みんなで音楽作品を創り上げる。そして、作品ができ上がったら、情勢に応じて可能であれば会場に集まっての大スクリーンでの上映、またライブ配信を実施し、講師陣の演奏も交えて集大成の会を行うということに至りました。


 その特別授業は、題して『アノネミュージックフェスティバル』。みんながお祭りのように楽しみながら取り組めるようにという願いを込めました。今までにない新しい形の音楽祭を、子どもたち一人ひとりと一緒に創り上げていきたいと思っています。


 『アノネミュージックフェスティバル』では、まず、昨年度制作した、15か国語での合唱とオーケストラによる映像作品『アノネミュージックプロジェクト』(こちらからご覧いただけます)に続く機会として、子どもたちの歌や演奏を集めた作品づくりを行います。例年のコンサートのように、年中さんから小学生、中高生までが全員参加できることはもちろん、それより前の年代のリトミックコースの皆さんが任意で取り組めるパートも準備いたします。


 また、今年度はさらなる充実を図り、合唱に加えて、子どもたち自身がピアノ、ヴァイオリン、チェロといった楽器でも参加できる演目を設けます。楽器の演奏による曲目は、S.ラフマニノフが作曲した『パガニーニの主題による狂詩曲』(第18変奏曲)という作品で(原曲の演奏はこちらから視聴していただけます)、私自身が子どもたちにぜひ出会ってほしいと思っている、なんとも美しい一曲です。「協奏曲」(コンチェルト)と呼ばれるタイプの曲目で、上記の動画での演奏のように、ピアノ科の生徒とオーケストラが共演します。ピアノや弦楽器を習っている子どもたちのうち、アノネ音楽教室の検定試験での「ノワーIII」レベルに達している場合、参加できることといたします。ピアノ科の場合、それぞれの難易度にあわせたパートを編曲してお渡しします。また、弦楽器の場合は、実際のオーケストラのパートで参加することができます。子どもたちには、オーケストラとピアノで共演できるなかなかない機会を楽しんでもらえればと思っています。


 年度末に行う上映・演奏会の際には、映像作品に出演する子どもたち自身がお客さんとなって楽しみ、ご家族の皆さまにもお子さまが活躍する姿や、講師陣の演奏をご覧いただけるようにいたします。先日は、会場を確保することもできました(日時:2022年3月25日(金)/会場:渋谷区文化総合センター大和田さくらホール - 5月中旬までを目処に、詳細をお知らせいたします)。もちろん、花まるグループの安全管理基準のもと、感染症を正しく恐れ、最大限にリスクを抑えることに努めて実施いたします。そして、今年花まるグループの主たる部門である花まる学習会では、先日お知らせしたとおり2年ぶりに野外体験『サマースクール』を開催いたしますが、アノネ音楽教室でも楽器の強化コースを中心とした『ミュージックアカデミー』を拡充して開催いたします(『サマースクール』と『ミュージックアカデミー』の両方に参加していただくことも可能です)。こちらは7月の下旬から8月の上旬に行いますが、前述の『アノネミュージックフェスティバル』の情報とあわせてお知らせいたしますので、ぜひご確認いただければと思います。


 なかなか落ち着かない状況が続きますが、この1年も子どもたちにとって実りある時間となるよう、保護者の皆さまと手を取り合っていくことができれば幸いです。ご一緒に創り上げる新たな1年を、日々楽しみに歩んでまいります。


アノネ音楽教室代表 

笹森壮大

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更新日:2022年5月5日

 3月のある日曜日のこと。お茶の水校にて、登壇した説明会を終えてほっと一息ついていたところ、隣の教室から何やらにぎやかな雰囲気が伝わってきます。覗いてみると、ちょうど「集団音楽教室 エキスパートコース」の授業が始まろうとするところでした。そしてそこには、アノネ音楽教室(当時「花まるメソッド音の森」)の開校以来、私自身が3年間教えていた子どもたちがいました。


 さらに、そこに中学受験でしばらく休んでいた子たちが久しぶりに教室に帰ってきて、

「よっ、久しぶり!」

「2年ぶりか?」

「いやいや、さすがにそんなには経ってないな(笑)」

と、和気あいあいと話していたのでした。

他愛もない会話ですが、教室に通い始めて7年目を目前とする今でもお互いつながり続けている子どもたちの姿を見て、心が温まりました。


 気づけばあっという間に1年が終わり、新年度が始まろうとしていますが、今年度もさまざまなできごとがあったので、少し振り返っていきたいと思います。


 まずは、2月の発表会での1コマについて。毎年、発表会の場で子どもたちの成長を定点観測してきましたが、夏休みや冬休みの「強化合宿」に参加した、特に高学年や中学生の子たちの演奏は、今年度になって一段とレベルアップしていました。そこでは、これまでのペースをはるかに超えた成長が見て取れました。技術面での成長のみならず、「音楽的」に弾くことへの意識がずいぶんと高くなっていることがわかりました。例えば、ある子の「P(ピアノ)」という記号の捉え方。音楽用語の辞典には単に「小さく」「弱く」などと載っていますが、その子は自分なりの、さらにその曲の、その部分での「P(ピアノ)」の表現にこだわり抜いて、作品を描いていました。


 また、急成長の足がかりとなった「強化合宿」についてある子に聞いたところ、「強制的に、1日中弾くしかない環境が良い。それも、嫌ってわけじゃなくて、友達がいるから楽しいし、みんながいるからがんばれる」と言うのでした。

 

 また、アノネ音楽教室から、コンクールで入賞する子も出てきました。今年度の「日本バッハコンクール」(ピアノコンクール)で3位という見事な結果を収めた4年生の女の子です。先日、その子にインタビュー(記事はこちらからご覧いただけます)をしたのですが、「音楽的」に演奏するうえで何を心がけているかというと、「たくさんの人の演奏を見たり聴いたりして、まねをする。そして、さらに自分なりに工夫している」とのことでした。詳細については、インタビュー記事を読んでいただければと思いますが、彼女もまた「音楽的」な演奏を磨きながら成長している一人です。「音楽的」というのは、前述の「P」(ピアノ)の事例にもあるように、情感がこもった、ていねいな表現であることを指します。これは、演奏者にとっての大テーマで、聴く人の心により豊かに響く音楽を紡ぐために、絶対に必要なことです。


 さて、皆さまは「1万時間の法則」という言葉をご存知でしょうか。「優れた演奏家になるには、20歳ぐらいまでに1万時間の鍛錬が必要」というもので、一昔前によく言われるようになりました。その論拠となる研究の対象になったのは音楽大学で学ぶ生徒たちで、さまざまなグループに分けて検証されました。


 それでは、この研究結果を実際の現場に当てはめてみるとどうでしょうか。音楽の専門校で学ぶ人は、多くの場合3〜6歳で楽器を始め、だいたい1日3時間以上は練習するものです。そうすると、20歳になるまで待たずとも、中学生くらいの時点か、遅くとも高校生くらいの時点で、すでに練習時間の総計は1万時間に到達しているはずです。さらに、1万時間の鍛錬を経たとはいっても、中高生のその人が、その時点で優れた演奏家になっているか判断するのは、時期尚早と言わざるを得ません。


 確かに、中学生や高校生で優れた演奏ができる学生はいますが、それでもその時点では演奏家になるためのスタートラインに立ったばかりで、むしろそこからの10年が勝負といっても良いと思います。以前のコラムでもお伝えしたように、音楽家がキャリアを充実させていく年齢のボリュームゾーンは、30歳前後であったりもします。


 では、練習時間が1万時間に到達したとき、実際にはどのような段階にいるか、現場の肌感覚で考えてみると、下記のようなことが思い浮かびます。


・ようやく自在に楽曲が表現できるようになる。

・弾きたい曲が一通り弾ける。

・譜面がスラスラ読めて、初めて楽譜を見る曲でも苦なく演奏できる。


 対して、お子さまが楽器を始めるときに、親御さんが夢見ることとして、「我が子にパッと譜面を見て曲を弾けるようになってほしい」「ベートーヴェンの大曲や、ショパンのバラードを弾いてほしい」といったお声をよく聞きます。しかし、これらの夢にはすぐに手が届くようで、意外と膨大な時間がかかるものです。


 初見演奏だけを例に取っても、毎日3時間以上楽器を練習してきて、たくさん楽譜を読む経験を積み重ねてきたような学生が通う音楽の専門校に、初見演奏の訓練に特化した授業があるくらいです。音楽のお稽古を受けていたら、できて当たり前だと思われがちな初見演奏ですが、実際はそのくらい高度なことなのです。だからこそ、小学生時代にすらすらできないとしても、全く問題がないとお伝えしたいと思います。


 それでも、アノネ音楽教室の子どもたちは、日々取り組んでいるアプリ教材『プリモ』によって、譜読み(演奏する楽曲の楽譜を読み込むこと)やリズムに関する力が、明らかに非常に高い水準にあります。簡単な内容であれば(専門的な教育を受けていなければ大人でも簡単ではありませんが)、楽譜に書かれていることや聴いた音を、自在に理解したり扱ったりすることができるくらいの力が付いている子が大勢います。いわば、母国語を使いこなすように音楽を楽しめる、「音楽的ネイティブ」と言っても良いほどです。もちろん、まだ『プリモ』に取り組むことを習慣化しきれていないという場合は、担当の教室長や実技レッスン講師にお気軽にご相談いただければと思います。


 さて、先述したように、立派な演奏ができるようになるまでには、ある程度の道のりを要します。そして、何よりその「1万時間の努力」を支えるのは、才能以上に興味関心なのだということも、さまざまな研究で、そして、アノネ音楽教室と子どもたちとの歩みから、明らかになってきています。


 アノネ音楽教室では、スパルタな指導ではなく、まさに興味関心を育てていくことを大事にしています。ワクワクしながら、前のめりに音楽に取り組める心を育み、結果として、プロでもアマチュアでも楽しみ続けられる音楽家を輩出することが、私たちにとってのゴールです。このことは、7年目を前にして芽吹きつつあります。一方で、必ずしも順調ではなく、ここにきて反抗期の波が押し寄せているという子どもたちも、ちらほら見られます。年齢が上がれば当たり前ですし、「1万時間の法則」を基準に考えれば、当教室の多くの子どもたちにとっては、ようやく折り返し地点というところなので、焦らず続けられるようお力になりたいと思っています。


 そして、数年以内には、一つの集大成として子どもたちによる海外演奏旅行を実現したいと考えています。ヨーロッパの大聖堂での『キリエ』(集団音楽教室で扱っている教会音楽の曲集)の合唱を想像するだけでも、心が躍動します。今年は、その企画を始動するための準備や、カリキュラム考案に取りかかりたいと思っています。そんなふうに、今後も子どもたちの豊かな成長につながる取り組みを続けてまいります。この4月からも、「1万時間」のさらに先の世界を目指して、皆さまとご一緒に走り続けていきたいと思っております。


アノネ音楽教室 代表笹森壮大

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