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 あっという間に夏が終わり、少し肌寒くなってきました。7,8月のコラムは例年通り合併号でお届けしましたが、その後の2か月間にもたくさんの出来事がありました。そのいくつかを皆さまにご紹介します。


 先日撮影が終わった「芸術鑑賞会」(和太鼓の回)が、その一つ目です。本来なら今回の会場である能楽堂に子どもたちを連れていって和太鼓の演奏を生で聴かせてあげたかったのですが、情勢を考慮して映像配信という形に切り替えました。配信にするからには最大限に臨場感のある映像をお届けできるよう、信頼する映像制作会社に依頼して高品質な収録を行いました。私自身は収録に立ち会ったり、チェロを携えて演奏に参加したりしました。慎ましくも凛とした能楽堂の空気。体全体にぶつかってくる大迫力の太鼓の音。圧倒されながらも、その空間と一体になるような心地良さがありました。


 皆さまを会場に招いて開催できなかったことがやはり非常に惜しまれますが、いずれまた完全な形で再演したいと思っています。今回は、この情勢下に少しでも華やぐ時間を持っていただけたらという思いから、特別に無料で配信いたしますので、楽しみにお待ちください。


 二つ目は、ジュニアオーケストラコースの発表会です。弦楽器を習う子どもたちが所属するこのコースは、現在立ち上がって数年。挑戦できる曲のレベルもだいぶ上がってきました。高学年や中学生になる子も増え、いよいよオーケストラとしての成長を感じています。全体合奏での音の厚みや、演奏に対する集中力には、驚きを覚えます。今では大人を唸らせるほどの音楽を生み出せるほどになってきました。


 特に高学年以上の子どもたちには、音楽にある本質的な喜びをつかみはじめている様子が見て取れます。家ではちょっと反抗的ですし、もう無邪気に「この曲好き!」と言ったりはしません。そんな彼ら彼女らは、ゆったりとした曲を味わい深そうに弾いたり、ぼそっと本音が漏らしてしまうかのように「すごくいい曲だと思う」という言葉をつぶやいたりするのです。そのような姿を見ると、作品の価値を共有できてきていることをしみじみと感じます。


 これは多感な時期だからこその成長で、私自身も中学生の頃に在籍していたオーケストラを通して、それまでにない感覚を知った記憶があります。そのオーケストラの指揮者はモーツァルトの音楽を「幸福感」という言葉で繰り返し表現されていたのですが、そのことが音楽に触れて充たされることの喜びを教えてくれたのでした。


 三つ目に、特別授業「アノネミュージックフェスティバル」─みんなで創る音楽祭─ で制作中の映像作品の編集が着々と進んできていること。現在は合唱の演目の制作を行っていますが、一人ひとりの歌声と姿が立派で、完成がますます楽しみになってきました。加えて、今後は個人実技レッスン生対象の楽器演奏の演目の収録も行っていきます。また、収録に向け、10月中旬頃より第二次募集が始まります。楽器演奏の技術が一定のレベルに達していれば、ラフマニノフの感動的な名曲『パガニーニの主題による狂詩曲』の演奏に参加することができます。今回は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの、それぞれのレベルに応じたパートをご用意しました。多くの子どもたちとともに、壮大なアンサンブルを創っていけたらと思っています。


 さて、話は変わって、今年から私のチェロの門下に中学生のA君が加わりました。彼はかつて私が集団音楽教室を担当していたときの教え子で、幼い頃から歌が大好きでした。ずっとチェロを弾きたいという希望を持っていたようで、ついに今年の1月にスタートしたのです。反抗期真っ只中の彼は、レッスンを始めてすぐに家で練習しなくなり、お母さまの頭を悩ませていました。私から伝えても練習せず、そのまま月日が流れました。


 自学自習ができるか否かに関しては環境要因が大きな割合を占める、と私は常々考えています。例えば、居心地が良い家で自分を律することの難しさはよくわかります。「自宅だと勉強(練習)しないんですよ」というご相談には、お子さまが低学年くらいまでの場合「家で緊張して背筋を伸ばしている方がかえって心配ですし、お家が幸せな証拠ですよ」とお答えしています。しかし高学年以上となるとそうも言っていられません。


 そんな中学生の彼に、私はあるとき、「レッスン室が空いている夜に来て自主練してみたら?」と提案してみました。意外にも「わかった」と前向きな返答があり、彼自身どこかで奮起しなければと思っていたことが伝わってきました。何も進んで自堕落になりたいわけではなく、面倒臭いという気持ちに打ち勝つ力が足りないだけなのです。自宅での練習が捗らない、という子どもたちを見ていてわかるのは、彼らのほとんどが心の底では「頑張りたい!」という気持ちを抱いているということです。サボっているように見えても、そんな態度や生活を心から望んでいるわけではなく、ただ面倒くさいと思ってしまったり、甘い誘惑に打ち勝つ意志の力が備わっていないだけだったりして、環境を変えた途端、熱心に練習し始めることもよくあります。A君は毎日お茶の水の校舎に通い、一人でしっかり練習して帰っていきます。場所を変えただけで練習できるようになったのは、彼に頑張りたいという気持ちがあったからこそであり、こちらでそれを後押しする環境を用意することができたからでもありました。


 さて、空き時間といっても場所や時間に限りがありますが、アノネ音楽教室では、全方位的なニーズを充たす新しいサービスをまだまだ開発していくつもりです。そのためのアイデアは尽きることがありません。私が音楽を学んだ場所であるスズキ・メソードには、「人は環境の子なり」という格言があります。また、指導者の先輩からは「子どもを責めず、環境を問え」という言葉を教わりました。新世代の音楽教室として、この時代にそれらのことを実現するサービスとはどのようなものなのでしょうか。


 例えば、自主練が捗る環境作りとして、オンライン上の自習室を設けること。練習仲間の目があれば格段と頑張れることと思います。また、動画を送ってフィードバックを受けられるプラットフォームなど、通信デバイスの活用。この業界ではまだまだ未開拓の領域です。さらに、私を含めた講師=人の質の向上。これら全てが子どもたちを取り巻く「環境」です。子どもたちの成長により一層寄与できるよう、今後も私たちがお届けするサービス、そして環境を磨き続けてまいります。


アノネ音楽教室代表 笹森壮大

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コラムに対するご感想などございましたら、

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 猛暑日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。私自身はこの2週間ほどで、外部の音楽合宿や、花まる学習会のサマースクールに指導や引率で参加してきました。夏休み期間もそのような機会を通して毎日のように子どもたちと接することができ、暑さに負けないエネルギーが湧いてきます。また、引き続きアノネ音楽教室の実技強化コースである”ミュージックアカデミー”でも指導を行いますが、そんな日々に感謝しつつ、子どもたちにとっても実りある時間となるよう尽力してまいります。


 外部の合宿には、ありがたいことに主催者の方が私の書籍を読んで共感してくださったご縁でお声かけいただき、講師として参加することとなりました。この合宿の講師陣には、人柄も演奏も格別に素晴らしい方々が揃っていました。ニューヨークのジュリアード音楽院、ウィーン国立音大、パリ音楽院(通称「コンセルヴァトワール」)など、海外の一流の音楽学校を首席で卒業された方や、海外の音楽学校の教壇に立つ方、そして国際コンクール入賞者から国内トップのオケの奏者まで、名だたる講師が一同に会する音楽合宿でした。


 その講師陣の中心となっていた方々は、留学して学んでいた頃の同級生やそのごきょうだいで、合宿はかれこれ10年近く開催されているそうです。それだけキャリアがある先生方なので、どういったレッスンをするのかとても楽しみでした。


 そんな先生方と一緒にアンサンブルの指導をしたり、個々のレッスンを覗かせていただいたりしたのですが、どの先生も椅子から腰が浮くほど前のめりに、情熱を持って指導されていました。1日のレッスンが終わった後も、子どもたちの練習に付き合う姿がありましたし、さらにその後も夜な夜な現場について語り合っていらっしゃいました。何よりそういった関係が学生時代から20年以上も続いている仲間で集って合宿を開催しているということに、私が描きたい未来の一端を見ることができたように思います。


 また、行程の一つとして、ディスカッションの時間がありました。まず、子どもたちは国際的なフルート奏者である藤井香織さんが創設した”MUSIC BEYOND”というアメリカの非営利団体のドキュメンタリー映画を見ます。その後、ニューヨーク在住の藤井さんとZoomでつなぎ、直接話すという流れで進めます。”MUSIC BEYOND”は、最貧国であるコンゴ民主共和国の発展を音楽を通して支援する団体で、映画はその活動にスポットを当てたものです。


 その映画で特に印象的だったのが、

「いい先生に習い、いい楽器を持って、家族のサポートや温度・湿度が管理された練習部屋があること。これら全てがなければならくて、あることが普通なのだと思っていた。でも、彼らは何一つ持っていないのに、音楽をやっているのです」

という藤井さんの言葉でした。そのように、現地の人たちがどんな環境でも音楽を愛し、楽しんで営む姿には、心に響くものがありました。


 初めての本番は楽器が足りなかったため、一人が弦楽器本体を持ち、もう一人が弓を持って2人で1台を演奏するという、まるで前衛作品の演奏会のような状況。練習のときも、楽器の順番待ちは当たり前。しかも、楽器が回ってくる頻度は1週間に1回で、その間必死に練習。そんな数々の仰天エピソードには、与えられた環境のなかで思い切り楽しんでやり尽くすという、昨今のコロナ禍をたくましく生き抜くためのヒントであふれていました。


 今後、私だけでなくアノネ音楽教室もつながっていけるように、企画を考えてみようと思っています。


 さて、私が参加したもう一つの行事である花まる学習会のサマースクールでは、子どもたちと寝食をともにする班リーダーを9年ぶりに務めました。今回は年長さんのコースでしたが、初めての外泊に勇気をもって参加した彼らのがんばりは相当なものだったでしょう。一方で、大人からすると彼らの一挙手一投足が本当に微笑ましい2日間でした。


 特に年長さんの引率は、声かけ次第で如何様にも変わります。私が初めて引率した当時は、いっぺんに複数の指示を出していたことで子どもたちがついてこられなくなってしまい、てんやわんやの状態でした。川へ行くときに、

「水着セットを出そう!それから、帰ってきた後はお風呂の時間だから、今のうちにお風呂セットも出しておこう!」

と伝えるといった具合です。このように指示を出した途端収集が付かなくなってしまい、部屋は混沌とした状態に。まず、1つ目の指示にあった水着セットを見つけるのに一苦労で、一緒に探してあげなければ見つかりません。そして、探している最中に他の物がカバンからこぼれ落ちます。そこからさらにお風呂セットも出すとなると、もう子どもたちは何を出すのかすらわからなくなってしまう。しかも、その1班に子どもたちは9人も10人もいるわけです。私の指示出しが良くなかったのにもかかわらず、思わず「さっきリーダー言ったよね!」という言葉が出かかることもしばしばありました。


 実際には、時間をかけて一つの指示をていねいに伝えた方がよほど準備が早いですし、今となっては明白なことです。例えば、「まず水着セットを出そう!」と1つ目の指示を出します。そして全員が見つけられたら、「一度カバンのチャックを締めよう」と伝えます。そうするとカバンの周りに落ちている自分の物に気がつくので、閉めるついでに片付けることができます。その後に次の指示を出してあげるのです。一つひとつの作業をていねいに行うこと。一度に複数の指示を出さないこと。一緒に探そうと声をかけてあげること。そういったちょっとしたことで、子どもたちは気持ちよく準備を進められますし、頭の中が整理されるのでスムーズに動くことができるようになります。


 これは、音楽のレッスンにも通じるところがあります。例えば、子どもが一生懸命弾いているときにフォームが崩れていることを指摘しても、2つ以上のことを同時に考えることが難しいので、あちらを立てればこちらが立たずの状態になりがちです。フォームを直したいのであれば、練習中の曲を弾いているときに指摘するよりも、暗譜でスラスラ弾ける曲を通してフォームを上書きしてあげた方が、よほど課題に集中して早く修正することができます。


 サマースクールの話に戻りますが、川の水は海のそれと比べるととても冷たいものです。 大人が

「川に入っておいで!」

と言っても、子どもたちからは

「冷たいから嫌だ!」と返ってきます。なので、今回もまず私自身が水の中に座り、

「みんなでお風呂に入ろうよ」

と誘い、全員が座ったところで水かけをしてみました。

すると、子どもたちは「やったな」と言わんばかりに、しかし満面の笑顔で水をかけ返してきました。こうして水かけ合戦を思い切り楽しみ、絶え間なく遊び尽くせました。


 まだ夏休みは前半ですが、濃密な時間をたっぷりと過ごすことができています。指導者として子どもたちに与えることはもちろんですが、それ以上に子どもたちから学びや気付きの機会をたくさん与えてもらっています。


 さて、子どもたちがわくわくするような夏休み期間である一方、このコロナ禍の状況で何ができるのでしょうか。限られた選択肢のなかで、私たちはアイデアを絶やさず、そして感染症に対して細心の注意を払いながら前進してまいります。経験こそが子どもたちの人生を豊かにすると信じて、皆さまが楽しくも安全なひと夏を過ごす一助となれるよう、駆け抜けていければと思っています。


アノネ音楽教室代表 笹森壮大

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更新日:2021年7月13日

 アノネミュージックフェスティバルの第一次参加選択期間が締め切られました。子どもたちの合唱や楽器演奏とオーケストラの共演による映像作品を制作し、年度末の3月25日(金)には「スペシャルコンサート」と題して、ホールで*その作品の上映と、講師陣の生演奏をお届けするという特別授業です。

*配信も行われる予定です。

 

 このご時世に合わせた内容とした結果、これまでにない形態の特別授業となったため、実はどこまでご参加いただけるか不安な気持ちもありました。しかしそれは杞憂に終わり、任意参加としている3月のスペシャルコンサートにも、複数開催になるほど多くの方にお越しいただける運びとなりました。この場を借りて心から感謝申し上げたいと思います。また、スペシャルコンサートの開催数や映像作品の編集方法の調整を行って、第二次募集を開始することも考えております。今後は、情勢にあわせて検討されたいという方にもご参加いただけるよう尽力いたします。ご家族分のスペシャルコンサートのチケットについても、運営方法を検討したのち、追加販売の機会を設けられるよう調整できればと思いますので、いましばらくお待ちください。


 さて、6,7月は個人実技レッスンの検定試験月間です*。教室で演奏する姿を撮影し、その動画を提出して合否通知や講評を受け取ることで、ステップアップできる機会です。私の門下でも毎年多くの子が受験します。一人ひとりにドラマがありますが、子どもたちにとってたった一回の本番の機会から得られるものは本当に多いなと、毎度強く感じます。

*一定の年齢や継続期間に達している方が対象です。


 先週の土曜日には、同じ課題曲で受験(撮影)する生徒が5人もいました。下は年長さんから上は中学生まで。これが非常に興味深く「年齢が下なのにこの曲が弾けてすごい」とか、「年齢が上だから上手い」ということではなく、各年齢で技術の活かし方や表現方法が異なり、同じ曲目なのに全く違う作品かのようだったのです。それぞれの表現で演奏できていたことに、とても意義を感じました。


 音楽のお稽古は学校の勉強と違って、その学年で習得しておくべき範囲の基準となる「学習指導要領」のようなものはありません。先述したように、皆始める年齢が異なるため、異学年が同じ曲を弾いているということはごく当たり前のことです。そして、それぞれに合ったペースで進められることもまた、音楽のお稽古の良さでもあると思うわけです。「掛け算ができないままで3年生になる」というような状況にはなり得ませんし、落ちこぼれを生まない習い事ともいえます。


 私の門下では規定の教本が終わった子もいますが、つくづく思うのは曲の「進度」より、譜面を読み込む「深度」の方が遥かに大切だということです。今回も、年長さんがその年齢で精一杯弾いた演奏と、上級生のお兄さんたちがそれぞれの年齢で気がついたことを意識して弾いた演奏がありましたが、どちらも立派なものでしたし、労いの拍手を心から送りたい気持ちになりました。


 さて、今回お伝えしたいのは、ぜひこの機会にいつでも弾けるレパートリー曲を持とう!ということです。子どもたちが音楽を続けていく上で「パッと演奏できる曲」があるかないかで大きく人生が変わるといっても過言ではありません。これは、簡単なようで意外と難しいことなのです。


 そもそもクラシック音楽には、「ちゃんと練習して行きつく、完全な演奏を披露しなくてはならない」という暗黙の掟のようなものがあります。だからこそ、練習通りにいかなければ演奏者本人は大きく落胆してしまうものなのです。今回の検定や発表会でも、完成形の演奏を求められた上で評価されますし、ジャズなどのように即興で自由に演奏していいわけではありません。そして、すべての音を楽譜に書かれた通りに弾かなければならない中、いつの間にか正確に弾くことが子どもたちのゴールになっていくものです。それ自体は悪いことではありませんが。


 レッスンで取り組んでいた曲が完成して合格をもらえれば次の曲に進みますが、そうなると今まで弾いていた曲をさらう機会は、意識的に設けない限りはなくなってしまいます。しかし、長い人生においては、例えば友達が家に来たときや、旅行で親戚の家に訪れた時などに「〇〇ちゃん/くんの演奏を聴かせてよ」と言われることもあるでしょう。もしかしたら、学校のイベントで演奏するなんてこともあるかもしれません。そんなとき、子どもの心情としては「恥ずかしいから弾きたくない」ということもあるかもしれませんが、それよりは「今練習している曲(それも未完)しか弾けない」「今まで完成させた曲はもう完璧に弾けなくなっているから嫌だ」など、持ち曲がない故に演奏したくなくなってしまうというケースがよくあります。せっかく年に一度あるかないかの貴重な機会に恵まれても、持ち曲がないだけで弾きたくなくなってしまうのです。私自身も子どものころに何度も経験したことです。一方、お気に入りの曲をいつでも弾けて、誰かに聴かせたら喜んでもらえたという経験を話してくれる子もいます。こうしたかけがえのない原体験は、音楽をずっと続けて成長していくうえで間違いなく大きな支えとなるものです。


 以前あるお母さまから、絵本『隣のベートーヴェン』で有名な小澤一雄さんという作家の展示会に、年中のお子さまと一緒に足を運ばれたエピソードを聞きました。その子は「チェロを持っていきたい!」と言って展示会に楽器を携えて向かい、パガニーニ作曲「妖精の踊り」を、本当に小澤さんご本人に演奏のプレゼントとして聴かせたそうです。もちろん聴いてもらえるのかはそのときまでわからず不安だったといいますが、温かく耳を傾けてもらえるという結果になりました。小澤さんとしてもわざわざ楽器を持ってきてくれたことはきっと嬉しかったでしょうし、双方にとって素敵な経験になったのではないでしょうか。


 音楽は、誰かに届けられるという点でも価値があります。冠婚葬祭など、人生の節目の全ての場面で届けられる作品があります。皆さまにも、日々の練習の冒頭で、過去に取り組んだ曲からレパートリーにしたい作品を決めて弾いてみることをぜひおすすめしたいと思います。定期的に弾いていれば、好きな曲を忘れることなく、大事なときにパッと演奏できるようになります。そのことは、きっと人生をより豊かなものにしてくれるはずです。子どもたちの演奏がたくさんの人に届き、聴く人の心を灯すものとなりますように。


アノネ音楽教室代表 笹森壮大


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