リレーコラム:2025年9月 『小さな一歩を信じて』田端 結(たばた ゆい)
- 広報 株式会社グランドメソッド
- 9月30日
- 読了時間: 5分
執筆者紹介:田端 結(たばた ゆい)
専門はピアノ。アノネ音楽教室ではピアノの個人実技レッスンを担当し、子どもたちからは「ゆい先生」と呼ばれています。長崎県出身で、幼いころから教会で讃美歌を歌い、音楽に親しんできました。学生時代はピアノのソロの演奏だけでなく、声楽やオペラの伴奏も学び、様々な音楽を研究。最近では音楽合宿やクリスマスコンサートの運営にも携わり、さまざまな方面からアノネ音楽教室を盛り上げています。
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これから語るのは、私の兄についての話です。子どものころ、私にとって兄はどこか不思議な存在でした。9歳年上の兄はどんなときも家にいて、ゲームをしたり、本を読んだり、テレビを見たりして過ごしていました。私は兄とテレビゲームをして遊ぶのが大好きでした。「ねえねえ!ゲームをしようよ!」と声をかけると、「よかばい!(長崎弁でいいよ!の意味)」と笑顔で答えてくれ、一緒に過ごしているととても居心地がよかったことを覚えています。「おいの漫画読むか?」と声をかけられ、たびたび兄の部屋のドアを叩いては漫画を借り、読み終わった後には生意気な感想を語ってみせたものでした。
そんな優しくて気の置けない兄が、ずっと家に居着いている状況に、幼い私はうっすらと違和感を覚えながら、深く考えるまでにはいたりませんでした。ですから、先日私が実家を訪ねた折に、母がまるで昔話をするかのように、当時のことをとつとつと語り始めたのには驚かされました。母の話を聞いてようやく、あの当時の兄が途方もない重荷を背負って生きていた事実を知り、教育者として子どもたちと関わる仕事をしている今だからこそ、彼の抱えていたものの大きさに、束の間、言葉を失ったのでした。
兄が親しかった友人を亡くしたのは、高校一年生のときのことでした。親友との突然の別れの衝撃だけではなく、その出来事をきっかけに学校でいじめを受け、結果として心に深い傷を負ってしまいました。最初は「亡くなった親友のためにも頑張りたい」と無理をして登校していましたが、その努力もむなしく、やがて限界を迎えた彼は不登校になり、引きこもりの生活が始まりました。
当時の私は、家庭の中で何が起こっているのかすら理解できていませんでした。最初の頃、母と兄は毎日のように言い争っていて、なぜだろうと不思議に思っていました。今になって思えば、長引く状況に対する母の焦りと、どうにか打開しようと模索する兄の苛立ちが衝突し、火花を散らしていたに違いありません。
それでも兄は兄なりに小さな努力を続けていました。高校には通えなかったものの、高卒認定試験を受けて合格しました。それだけではなく、外に出ることへの抵抗をなくすため夜中にランニングを始めたり、状況が改善してからは、アルバイトや自動車学校にも通ったりしました。劇的に兄が変わることを望むのではなく、彼の選んだ小さな一歩を信じることが、当時私たち家族にできた最大限のサポートであり、支えだったように思います。そうした小さな一歩の積み重ねによって、最終的に兄は社会復帰することができました。
どうにか社会復帰を果たした兄は、ある会社に就職することになりました。そして社会人2年目を迎えた頃、彼は「一人暮らしをする」と自分から宣言したのです。言うまでもなく、家族と離れて暮らすのは兄にとって初めての挑戦で、勝手がわからず準備には人一倍時間がかかりました。そんな彼の準備を、家族で力を合わせて、可能なかぎり助けました。引っ越しの当日、「行ってきます」と家を出た兄の背中は、長い引きこもり生活を知る私たち家族にとって、本当に涙が出るほどまぶしく、たくましく映りました。
兄が社会復帰に至るまでには母の存在はもちろんのこと、実は私の幼馴染のお母さんも心配して声をかけ続けてくれていたこともあり、信じて見守る人がいたことが頑張る理由になったのかもしれません。また母に当時の心境を聞いてみたところ、最初はどうしようかと焦っていたが、引きこもりながらも家族と積極的に関わっていた兄の姿勢から、細かいことは言わず本人に任せるスタイルに気持ち丸ごと切り替えたそうです。
目に見える成長が感じられず止まっているように見えたとしても、それ自体が本人にとって必要な成長過程の一つだと捉えることができれば、現状の見方が変わってきます。
私は母の話から「信じる」ことの難しさと大切さを痛感しました。
この話を思い出すと、私が担当しているある生徒の姿にも重なります。当時小学6年生のAさん。中学受験のため、ピアノをしばらく休む前に最後に発表会に出ることにしました。私が前任の講師からAさんの担当を引き継いだのは、発表会本番からわずか1か月前のこと。Aさん自身が塾の課題や模試で忙しい中、練習時間を作り出すことは大変で、本番2週間前でも完成度は20%ほどでした。しかし、ご家族の協力も得ながら毎日録音を送ってもらい、それを聴いて私からフィードバックを返し、再び練習をして録音を送ってもらう。Aさんは短い時間のなかでも密度の濃い練習をしました。そして迎えた本番、Aさんは暗譜で堂々と演奏をやり遂げました。その姿からも、「小さな一歩を信じて積み重ねること」が大きな成果につながることを実感しました。
さて、個人実技レッスンでは発表会の時期が近づいてまいりました。本番に向けてどこまで声をかけ、どこまで見守るべきなのか、難しい部分もあると思います。迷われたときはぜひ担当講師にご相談ください。うまくいかないことがあっても乗り越えようと葛藤する日々を経て、大きな達成感を得てまた次も頑張ろうと思える経験となるよう、子どもたち一人ひとりの歩みを信じながらも、時には背中を押して導いていけるようサポートしてまいります。
アノネ音楽教室 田端 結(たばた ゆい) - “ゆい先生“
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