先日、知人の誘いで、とあるインターナショナルスクールの発表会を見に行ってきました。小学校高学年から中学生あたりの年代の音楽の発表会です。その学校では、ある学年からは合唱か弦楽器アンサンブルに参加することが必須とされています。
曲を披露する前に、各学年の生徒が楽曲を紹介するのですが、都度、ちょっとしたウィットを利かせたことを言って会場を沸かせていました。多くの子が部活のような形で取り組んでいることもあり、特に弦楽器の演奏では始めたばかりの子から長く経験している子まで在籍していて、レベルに差がありました。カルテット(四重奏)から大編成まで、さまざまな編成で演奏するのですが、私たちとは明らかに文化が異なる世界でした。
1つ目は、子どもたちが演奏し終わった後の保護者の方々のリアクションです。一般的な日本の発表会であれば拍手だけということが普通なのではないでしょうか。しかし、この発表会では拍手に加え、指笛、そして大人たちの大歓声も凄まじいのです。まるで大球場でホームランを打ったかのような大歓声が、各曲が終わるたびに起こります。演奏した子どもたちはまるでスターのようで、歓声や絶叫と拍手で、大人たちに心から称賛・祝福されていました。これは恐らくアメリカ的なもので、ヨーロッパでは時と場合による印象です(私が留学していたフランスでは、そこまでではありませんでした)。
2つ目は、子どもたちがミスをしたときの反応です。日本の学校や教室では、本番でミスをした子どもたちの多くは顔が強ばったり、会場にも緊張感が生まれてしまったり、自分がその場にいることへの焦りや恥ずかしさに押しつぶされそうになったりするのではないでしょうか。一方、そのスクールの彼らは、間違う度に、「やっちゃったなあ」「間違えたけど、気にしない気にしない!」とでも言うかのように、肩を上げて笑顔で隣の子とアイコンタクトを取って対応していました。それが一人だけならその子の性格の問題でしょうが、ほぼ全員がそのような態度だったことに驚きました。
どちらが良くて、どちらが悪いということではないのですが、少なくともそんな姿から自尊心の高さを感じました。自尊心とは、一般的には「自分は価値がある大切な存在である」と思える心のことを指します。ちょっとやそっとのミスでは動じず、失敗があってもすぐに切り替えるようなマインドからは、演奏の上手い下手以前に、自分の存在に対しての確固たる自信を感じました。周りの人に認められ愛情を十分に受けてきたことを実感している人のふるまいです。
ちょうど最近、子どもたちに対する「転ばぬ先の杖」の使い方が、彼らの自尊心を育んでいくうえで大切なのではないかと考えさせられる機会がありました。それは、Aちゃんという子が私のチェロのクラスに移動してきてからのことです。
Aちゃんは演奏がとても上手なのに、まるで演奏する自分に価値がないような態度や言動を見せていました。「どうせ〇〇だし」「私が演奏したって」といった具合です。ひもといていくと、前任の先生の指導に要因がありました。
「テンポを勝手に揺らさない」「フレーズの収め方はこうしないといけない」「これをするとうまく弾けないよ」「こうしちゃいけない」。その先生はAちゃんのために一生懸命、失敗しないように、うまくいくことを願ってそのような指導をしていたそうです。しかし、Aちゃんは案の定その言葉にもう一つのメッセージを受け取っていたそうです。「あなたには自分で解決する能力がない」
「それはしない」「これもだめ」「これに気をつけて」… これらは、選択肢から引き算をする声かけです。このように声をかけられる度にAちゃんがやりたいと思ったことの選択肢が減っていき、結果として消去法でしか選べなくなります。それは自分で選んだようで実は選ばされた感覚しかなく、自由さを感じられなかったそうです。自由を感じられないということは、大人から信頼してもらえていないと感じてしまうことにもなります。自分で選べないということは、信じてもらえていないということに近いといえます。
失敗しないための「転ばぬ先の杖」。その回避行動は、「つらい思いをしないかな」「傷つかないかな」という親御さんや先生の愛情があってのものでしょう。しかし、Aちゃんにとっては、ただ失敗しないための回避行動です。成功のための唯一解を選ばされるより、先生に信じてもらい、ミスを許してもらい、Aちゃんが選択した道を認め、励ましてもらうことのほうが、自尊心が高まります。「失敗しない成功」よりも、「傷つかない道中」よりも、ずっと大事なことだったのでしょう。結果として、うまく弾けるが、自尊心が低いという現状につながっていったようでした。私自身は、同じようなことを、勉強やスポーツの現場など、至るところで見てきました。
話を戻しますが、アメリカの子どもたちは特に自信があって自尊心が高く、そのデータやエビデンスもあるということがよく言われています。一方で、演奏における間違いや失敗をあまり気にしないというのはいかがでしょうか。その子たちは、自分を客観視できていないのでしょうか。私の見解をお伝えすると、自らの演奏の客観視は、経験を重ねるうちにできるようになっていくのではないでしょうか。
子どもが一人でステージに立ったとき、拍手だけだと労いのようなニュアンスが強く感じられます。しかし、前述のアメリカンスタイルは、称賛と祝福に近いと感じたわけです。発表会などで、弾き終わってすぐ演奏の良し悪しを気にするのではなく、まず多くの大人に称賛・祝福される時間を存分に過ごせるのであればと思います。そんな経験を通して、愛情や承認を存分に受け取れる時間を届けたいものです。まずは来る夏の音楽合宿から、愛情を込めて拍手喝采と称賛・祝福を送って、子どもの演奏を称えていきたいと思っています。
アノネ音楽教室代表 笹森壮大
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