top of page

 早いもので間もなく師走となりますが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスの世界的流行が始まってから1年近く経とうとしています。この時期にクリスマスコンサートに備えた練習や準備がないことが寂しく、あの舞台が本当にないのかなと、実感がわきません。そんな今年も少しでもこの季節を楽しめるよう、先生たちからのクリスマスプレゼントとしてオンラインコンサートを行いますので、ぜひご覧ください。


 先日まで受験のため長期休会をしていた中学1年生のKくんが、ジュニアオーケストラと実技レッスンに戻ってきてくれました。Kくんとの出会いは、彼が小学1年生のころ、私の花まる学習会の教室に入会したときのことでした。それから3年間花まるの教室で一緒に過ごし、アノネ音楽教室の開校後は、私のチェロのクラスにも通うようになりました。とても優しく穏やかな子でありながら、ジュニアオーケストラではひょうきんな一面も見せ、仲間から慕われています。この11月に久しぶりにジュニアオーケストラに戻ってきたときも、休会期間のブランクを感じさせないほど、自然にとけ込み楽しんでいました。さらに、Kくんにはこの1年で心身ともに目を見張るほどの成長を感じました。受験を経て肝がすわったのか、これまでになかったような骨太さを感じ、優しさの影にあった物怖じするような態度もなくなっていました。子どもたちの成長に対する嬉しさやある種の寂しさを感じながら、このように長く一緒に並走できることは、この仕事の冥利に尽きると感じます。

 そんなKくんが在籍しているジュニアオーケストラ、そしてソルフェージュや合唱、アンサンブルを学ぶエキスパートコースは、子どもたちの音楽を通じた輪が末永く続くために存在しています。子どもたちも「〇〇くん/ちゃんがいるから行きたい」と言っています。彼らにとって友だちと一緒に音楽を楽しめることには代えがたい価値があり、それが最大のモチベーションになっています。もちろん通っていただくに値する中身は絶対に必要ですが、子どもたちにとってはカリキュラム以上に仲間の存在が大事なものです。彼らには、仲がいい子が辞めれば自分も辞めようかと思ってしまうほど、素直でシンプルな価値観があります。


 私自身も中学生のとき、オーケストラの高校生や大学生と一緒によく遊び、夏には一緒にキャンプにも行きました。今は皆社会人ですが、それでも年に1度は集まっています。そういったずっと続く仲間の存在は、音楽が与えてくれた豊かさのひとつです。しかし、私たちがこのように過去を振り返るのは、音楽が好きであることも、作品の素晴らしさを感じていたことも当たり前で、そのうえでこのメンバーが最高だったよね、という思いがあるからです。アノネでも同じように、子どもたちが大作曲家の崇高な作品に心を動かされるような経験をできることや、授業やレッスンの軸であるカリキュラムを洗練させていくことを非常に大切にしています。しかし、教室を巣立った後のことを考えると、それらと同じくらい、どれだけ「ここでみんなと一緒にいたい」と思える場所であるかということも大切にしたいものです。

 だからこそ、音楽を学ぶ以外の時間をどう過ごすか、ということにこだわっています。学びとは関係のない時間、例えば雑談や他愛もない話をする中でこそ絆が育まれるからです。私が学生時代に手伝っていた多くの子どものオーケストラ団体では、ご飯のときに先生は先生たちのみで集まって食べるものでした。しかし、アノネでのお昼の時間には、子どもの雰囲気を見て講師も一緒に座ります。話の輪に入れない子がいないようにしますし、新しい子が来ればレクの時間を少し多めに取ることもあります。また、班の組み方にも重きを置いています。年齢を越えた縦割りの絆が醸成されるよう組み合わせたり、逆にあえて元から仲がいい子たちをまとめたり。もちろん、授業運営の円滑さを考えたら、単純に人数のバランスを調整するくらいが効率的かもしれません。しかし、寂しい思いをする子がいないようにすることや、子どもたちの絆が深まっていくことは、運営の効率より遥かに大切です。


 さて、先日読んだ本(アダム・グラント著『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』)の中に、面白い記事を見つけました。心理学者のベンジャミン・ブルームという人が、世界の一流の音楽家、科学者、アスリートに対して行った調査についてです。その中に、国際コンクールで上位に残ったピアニスト本人と親御さんに対する調査や、世界ランキングに入ったプロテニス選手へのインタビューがありました。こうした調査やインタビューから、一流のプレイヤーたちがはじめに習った先生やコーチに、ある共通点が見えてきたそうです。それは、「思いやりがあり、親切で寛容。レッスンは待ち遠しくなるようもので、関心を広げてくれた」というものでした。つまり、一流のプレイヤーたちは揃って、子どもの扱いが上手な近所の指導者のもとに通っていたそうなのです。なるほど、と膝を打ちました。まさにアノネ音楽教室の理念に通ずることで、改めて自信を持つことができました。同時に、私たち伝える側は子どもの才能が見えたとき、どうしてもそれさえ最大限伸ばせればいいと、盲目的になりがちなのではないかという反省もありました。「才能や伸びしろの可能性」を前にしたとき、楽しさややる気といった部分をどうしても置いてけぼりにしてしまうものです。同著書でこの後書かれていた「1万時間の法則」(一流として成功するには、1万時間もの練習や学習といった努力が必要だというもの)についての箇所でも、10年以上ひとつのことに打ち込むうえで才能以上にワクワクする気持ちが大切だとあり、再度身が引き締まりました。先述したKくんが受験が終わって戻ってきてくれたように、アノネ音楽教室が「ずっとここにいたい」と思える場所であり続けるため、子どもたち一人ひとりのペースで並走していきたいと思います。そして、子どもたちが教室を巣立った後に音楽が残っていくよう、サポートを続けてまいります。


アノネ音楽教室代表 笹森壮大


ーーーーーーーーーー

コラムに対するご感想などございましたら、

info@anone-music.com まで、ぜひお寄せください♪

更新日:2020年11月18日

 「どんな子も受け容れる」という花まるグループのポリシーから、グループには発達療育支援部門や心理相談部門があり、全社として子どもたちへのサポート体制が用意されています。今まで受け持っていた教室でも、様々な学習/発達障がいを持った子どもたちと出会ってきました。親心として授業中に迷惑をかけてしまう心配もあるかもしれません。しかし、個人の多様性を認めることが標準化してきた現代の世界。次世代のリーダーと言われている、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんもアスペルガー症候群、強迫性障がいを持っていますが、彼女は自分の性質を「スーパーパワー」と呼んでいます。また注意欠陥・多動性障害(ADHD)も起業家の素質だと言われるように、社会全体がありのままの個性を尊重し才能として見るように変わってきています。

 「多様性を認める」ことや「個性を認める」ことが国際社会の標準/常識になってきている一方で、「自分と他者の幸せのバランスをどうとるのか」という難しい問題を孕んでいます。例えば、アメリカに見る自国の利益ファースト。Make America Great Againを掲げるトランプ大統領のWHOやパリ協定離脱。同じ様にヨーロッパ各国のEU離脱なども、小学校の学級目標的に言えば、「みんなで仲良くしよう」から、「まずは自分の利益/幸せを優先させよう」というところでしょうか。

 前置きが長くなりましたが、そんな時代の中で子どもたちにどう価値観を育んで欲しいかという話です。

 皆さんはジャポニカ学習帳を覚えていますでしょうか。花の写真や、カブト虫や蝶々などの昆虫の写真が大きく表紙に写った学習帳です。しかし2012年から昆虫の写真が消えました。虫が気持ち悪いという一部の意見に対して、出版社が配慮した結果表紙に使われなくなってしまったそうです。さて、これもまた、個人の意見を尊重しているわけですが、この話に反対したのが社会学者の宮台真司さんです。宮台さんは、個人の意見を配慮することは大切だが、尊重し過ぎれば社会が息苦しくなっていく、という話をされていました。例えば、公園では走れば怪我に繋がるから走らせない、ボールは危険だから使用禁止、大きな声も近所迷惑で出せない。大人はゲームはするなというが、公園でできるものはゲームしかない。ゲームの良し悪しは本稿の主旨ではないので論じませんが、ある種の意見を際限なく採択し続ける限り、社会が窮屈になっていくという旨でした。それもうなずける話であると同時に、次の話に多様性を認めることのヒントがあると思いました。種子植物である花は受粉しないと花が咲きませんし、受粉ができるのは昆虫のおかげであるわけです。それなのに「花は見たいが虫は見たくない」という都合の良い意見を聞いていけば、最後は花も見れないような世界になる。いいとこ取りばかりできないのが自然の摂理だ、という話でした。この話をラジオで聞いたのがもう数年前なので正確な言葉ではないかもしれませんが、多くの示唆に富んでいるように思いました。見たくないものを除いて、自分が見たいものだけを見ることは、個人の価値観を優先させているようで、結果として自分たちが息苦しい社会や世界を形成していってしまう側面もあるわけです。これもまた一人ひとりの価値観と他者や社会にとっての幸福のバランスをとる難しさだと思います。


 さて、話は変わりますがその昔、音楽教室を立ち上げた頃、アルバイトで働きたいという学生が来ました。面接の一環で授業見学をしてもらいましたが、当時の私の教室には多動の子が数人いて賑やかでした。授業が終わり、「どうでしたか?」と聞くと、「私、騒がしい子を見て、無理だと思いました」と返ってきました。「何でも言うことを聞いてくれる子どもばかりじゃないよ」と言いたい気持ちと、そんな子達がかわいいんだよ、ぐらいの返答しか思い浮かばず、そのまま面接が終わったことを今でもよく覚えています。


 多様性(ダイバーシティ)という言葉が一般的になり、「難民の受け入れ問題」や「テロによる宗教観での争い」も、今や社会の身近なテーマです。そしてそれを解決していくことは、私たちやこれからの世代の子どもたちになるわけですが、大人になって突然その課題解決の力が身に付くはずがありません。その入り口となる最初の経験はやはりミニ社会の幼稚園や小学校でしょう。例えばとなりに座った子を笑わせたり、次も〇〇くんと一緒の席がいい!と魅了することではないでしょうか。同じテーブルに学習/発達障がいがある子がいれば、その子のことを思いやり理解し、助けて認めていくことが、世界を平和にする一歩だと思います。嫌な人とは関わらなくて良いという意見もありますし、隣の席の子と距離をとらせることは簡単ですが、赤の他人を幸せにする経験は積めません。他人を幸せにする経験が乏しければ、これから出会うかもしれない大切な人も、ましてや国が違う人を、宗教が違う人をどうして幸せにできるでしょうか。多様な価値観を認めることとは、目の前の相手を幸せにすることであり、自分の主義主張や居心地の良さばかりを担保してもらうものではない、という考え方は、まさに今子どもたちに伝えたいことです。面接に来た彼女に全く非はありませんでしたし、当時の私にただ教育の魅力を語る力が足りなかっただけですが、今であれば個性の違う子どもたちが居ることが、どれだけ尊く価値があるのかを伝えられるかもしれません。そしてこれからの子どもたちには花も虫も愛せる子に育って欲しいですし、その先には自然も社会も国も繋がりの中で支え合っていることを知り、大切にしながら、これからの未来を担ってもらいたいと思っています。

 

アノネ音楽教室代表 笹森壮大

ーーーーーーーーーー

コラムに対するご感想などございましたら、

info@anone-music.comまで、ぜひお寄せください♪

更新日:2020年11月18日

 あっという間に夏が過ぎ、肌寒い季節になってきました。今年は特に、子どもたちが健康でいられるように対策を講じながら、我々講師陣も体調管理には一層気を張っていきたいと思います。またクリスマスコンサートを始め様々なイベントを見送る運びとなりました。心から残念に思いますが、関わる全ての人の安全には変えられません。その分、講師によるオンラインコンサートなどの企画も考えておりますので、どうぞご期待ください。


 先日、日本ラグビー協会のコーチングディレクターの中竹さんと対談を行いました。動画で観られた方もいらっしゃったかもしれませんが、私自身にとっても学びに溢れる時間となりました。中竹さんの著書の中で印象的だったのは、「オフザフィールドがチームを強くする」という言葉です。「オフザフィールド」とはボールを持たない時間をどう過ごすかという概念。ピッチの上では、ボールをもたない人の動きが実は重要であり、更にはピッチの外でも同じだというのです。ラグビーの強豪国であるニュージーランドでは、チームの仲間同士で食事をしたり、ボールを持たない時間をいかに過ごすかがチーム力の強化と深い相関があるといわれており、実際にこの「オフザフィールド」を研究するリサーチャーがいるそうです。


 さて、話は変わります。私は月1回のオーケストラコースを担当しているのですが、先日久しぶりにリアルで人が集まりました。そこに先日新しく入会したH君の姿もありました。彼は現在4年生で、私が集団のベーシックコースを二子玉川で教えていた時、2年生だった生徒です。明るく前向きなH君は当時から教室を活気づけてくれていました。H君は、音楽教室の『おぺら』(伝記教材)の時間が大好きで、授業中の口癖は「早く生演奏聴きたい!」でした。『ぽるか』や『きりえ』なども生演奏ですが、彼にとっては『おぺら』の時間が待ち遠しくて、終わってしまうと「もっと生演奏を聴きたい!!」というのがお約束でした。そんな様子を見て、毎授業、講師の人たちと微笑ましい時間が流れたことを覚えています。そんなH君は『おぺら』で聴いたパガニーニの曲に憧れ、1年半前からヴァイオリンを始めました。そしてやっとオーケストラの入団レベルに達し、再会を果たしたのでした。

H君の成長のスピードは目覚ましいものがあります。H君の演奏歴以上のレベルの楽曲をオーケストラでは扱っていますが、私の期待以上に練習もしてくれています。教本の進み具合も速く、自らどんどん曲を読むそうですが、意欲に技術が引っ張りあげられているような躍進ぶりです。オーケストラの休憩が終わったあと、誰よりも早く基礎練習をしています。それも凄い集中力で、指板から目を離さず弾いています。私もそうでしたが、オーケストラは1日の練習が7時間と長いですから、休める時は少しでも長く休みたいものです。それなのにH君は隙間時間にはとにかく早く着席して黙々と取り組んでいました。私の好きな鈴木鎮一先生のコラムの中に「勤勉な子を育てる」という挿話があります。その一節で「集中する心が楽しい習慣に育てられた時、初めて勤勉の心が育つのである」とおっしゃっています。楽しい習慣とはやらされ感ではないという、文脈で書かれていたのですが、まさにH君がそうでしょう。

 ここまで書くと、ベーシックの集団の音楽教室やレッスンでの指導が、正しく学習観が身に付いた要因かのように思いますが、それだけではありません。実はそういった音楽に対する気持ちはお母さまの影響が大きいと感じています。初めてオーケストラの夏のイベントに参加された時、「天国にいるような美しい響きで…このような場所に連れてきていただいたことに感謝です」とおっしゃっていました。アンサンブルをする喜びをお母さま自身が体の芯から感じていらっしゃると、いつも丁寧にお伝えいただいています。思い返せばH君が音楽教室に入会した時も、授業の中で感動した気持ちをたくさん伝えてくださりました。そういったお母さまが音楽を楽しみ感動している姿が、H君の音楽に対する視座の礎となっているのだと確信しています。

 話は戻りますが、対談の中で中竹さんがおっしゃっていたことの一つに、「良い指導者は、指導者自身が成長していくもの」という言葉がありました。これは、高濱さんも1年ぐらい前におっしゃっていたことで印象に残っています。親御さんから見れば、当然成長し続ける指導者の方が良いにきまっていますが、指導者の成長と、子どもの成長がどのように関係するのか。テクニカルな部分ではなく、コーチ自身の「姿勢や態度」が必須の条件であるという見解は示唆に富みます。指導者が常に新しい教育の知見を得ていくことが大切なのか、あるいは指導者が学んでいる姿勢そのものが子どもを伸ばすのか。後者で言えば、本を読みなさいというより、読んでいる姿を見せる方が良いという議論にも似ているかもしれません。実はこの話、私はピンとこなくて高濱さんに質問をしました。高濱さん曰く幼児教育の第一人者である上里先生の言葉だったそうで、「その言葉を聞いたときはピンとこなかったが今はよくわかる」ということでした。それでも私はまだピンときていなかったのですが、ふとあることに気が付きました。それは、御茶ノ水の高濱さんの社長室の前を通ると、毎週10冊以上の新しい本が並んでいるということです。高濱さんには親切にも「勝手に読んでいいよ」と言ってくださるので、よく拝借しています。高濱さんのように教育界の第一線で活躍されていながら、多忙であるにも関わらず、学び続ける姿勢にやはり触発されないわけがありません。しかも本には付箋と鉛筆での線引きだけに留まらず、コメントの書き込みまであります。そう思うと確かに、「この本、読みな」と言われるより、語らずとも勉学への姿勢や向上心を背中で見せていただけていることに、よほど効果があるなと得心がいきます。とは言っても、私自身まだこの言葉の真意を理解しきれていません。ただし、成長する側は、成長を与える側の投げかける言葉以上に、背中を見ているということだけは言えると思います。このように書くのも自戒の意味も込めてですが、言葉ではなく行動で示せる大人でありたいと思います。

アノネ音楽教室代表 笹森壮大

ーーーーーーーーーー

コラムに対するご感想などございましたら、

info@anone-music.comまで、ぜひお寄せください♪

bottom of page