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代表笹森コラム 2月号

更新日:2021年2月27日

 先日、個人実技レッスンの発表会の全3日程が終了いたしました*。このコロナ禍にあって、出演者である総勢200人近くの子どもたち全員が舞台に立てるよう、初めてお茶の水校で発表会を開催しました。感染症対策としてさまざまな規制を設けて、皆さまの安全を確保しながらの運営となりましたが、ご家族の皆さまのご協力があったからこそ、今年も子どもたちの舞台を用意することができました。お願いごとが多くなってしまい心苦しい限りではありましたが、皆さまのサポートに心から感謝申し上げます。

*3月には完全にオンラインでご参加いただく形の発表会を行います。引き続き、少しでも良い機会をご用意できるよう尽力いたします。

 今回は会場に入れる人数を制限せざるを得ない分、YouTubeでライブ中継を行いました。コロナ禍でなかなか集まれないなか、遠方にいらっしゃるお祖父さま、お祖母さまや親戚の方々にも子どもたちの活躍を見ていただけたというお話など、思いのほか喜びの声をたくさんいただきました。皆さまにとって良き成長の機会になっていれば嬉しく思います。今年も発表会を終えて、改めて無くてはならない大切な会であると実感しました。


 さて、数年前の発表会からではありますが、強く印象に残ったエピソードを一つご紹介したいと思います。子どもたちの発表を見るためにいくつもの会場を回っていたのですが、一人ひとりがそれぞれに魅力あふれる演奏を届けてくれました。なかでも、4年生のAちゃんの演奏にとても感動したことを覚えています。


 本題に入る前に、少しAちゃんについてお話しいたします。Aちゃんのことは、私自身が集団音楽教室の小学生ベーシックコースで3年間指導していたので、性格もよく知っていました。Aちゃんは音楽が大好きな気持ちにあふれ、いつも彼女の行動や表情からはそのことがよく伝わってきます。たとえば、ある年のクリスマスコンサート*の合唱の練習をしていたときのこと。コンサートで歌う曲目の前奏で、そのメロディの心地よさを感じているとAちゃんと目が合い、お互い無言ながら笑顔で「ここの部分が素敵だね」と心を通わせたことがありました。

*アノネ音楽教室の子どもたちの合唱とオーケストラが共演するコンサートで、全員が参加できる特別授業。コロナ禍以前は毎年開催してきました。2021年度の開催方法に関しては、決定し次第お知らせいたします。


 そんなAちゃんの、数年前のピアノの発表会でのこと。本番では大きなミスをしてしまいました。ミスタッチの後、一瞬頭が真っ白になり、止まってしまったのです。その数秒間、見ている側の私も胸が締め付けられるようないたたまれなさと、弾き切れるかどうかの不安に駆られました。しかし、一瞬の間を経た後、何とか仕切り直して最後まで弾き通すことができました。そして、満面の笑顔でお辞儀をして発表を締めくくりました。退場するときも、背中を丸めたり、そそくさと立ち去ったりすることは決してなく、逃げたい気持ちがあってもおかしくないところ、胸を張って退場していきました。自分の気持ちより、聴いている人たちに感謝を伝えることを優先するその姿に、驚きと感動を覚えました。「落ち込んでいないかな」という不安や心配の気持ちを抱く聴き手に対して、笑顔で安心させてくれる。そのような、立派な振る舞いだと感じました。


 今年の発表会でも、さまざまな演奏のあり方を見てきました。どんな演奏も、本番に至るまで真剣に向き合ったことが見て取れるもので、画面越しであっても心が動かされました。私の生徒の部では、講師挨拶の際に「納得が行った子」「悔しかった子」と、それぞれ手を挙げてもらいました。すると、想像に反してほとんどの子が悔しい思いをしているようでした。そのことから、聴き手である大人にとっての感動と、演奏者である子どもたち自身にとっての納得感の乖離が大きいことを改めて感じました。


 発表会は聴き手にとって感動的な場面にあふれる一方、先述したように過酷な一面もあります。やり直しができない一発勝負。間違えても諦めることを許されず、落ち込む暇も与えてもらえません。そんななか、ミスがあっても最後まで弾き通せたのであれば、十分すぎるほどの大健闘です。上手に弾けた子ももちろんすばらしいですし、ミスをしたけれど踏ん張って最後まで弾き通せた子も称賛に値すると心から思います。講師挨拶を通して、そのことをしっかりと共有できていたのであればと願っています。